明治村 その8 学校 (元こそどろさんのその後)
歳を取った元こそどろさん。ある夜、目を閉じて、昔を思い出していた。子供のころ、彼は実は優秀だった。小学校ではいつも学級委員長。クラス一おりこうでかわいい女の子と、毎朝日誌を職員室まで取りに行く係り。男子からはひやかされたけれど、まんざらでもなかったっけ。
三重県尋常師範学校・蔵持小学校 三重県名張市蔵持 明治21年(1888)年
講堂の裏に呼び出されて、なまいきだと袋叩きにされたこともあったけれど。
千早赤阪小学校講堂 大阪府南河内郡千早赤阪府 明治30年(1897年)頃
高校では理系が得意。化学反応に興味を持ち、あやしげな物質を作りだす。そう、ここいらでちょっと道を踏み外したのかもしれない。
第四高等学校物理化学教室 石川県金沢市仙石町 明治23年(1890年)
いろんなことがあったけど、結局彼の人生は、プラスマイナスゼロのいい人生だったのかもしれない。静かに寝息をたてている元こそどろ爺さんの顔は、皺がちょっと浅くなったようにみえた。
おしまい。(注:もちろん全くのフィクションです)
三重県尋常師範学校・蔵持小学校 三重県名張市蔵持 明治21年(1888)年
講堂の裏に呼び出されて、なまいきだと袋叩きにされたこともあったけれど。
千早赤阪小学校講堂 大阪府南河内郡千早赤阪府 明治30年(1897年)頃
高校では理系が得意。化学反応に興味を持ち、あやしげな物質を作りだす。そう、ここいらでちょっと道を踏み外したのかもしれない。
第四高等学校物理化学教室 石川県金沢市仙石町 明治23年(1890年)
いろんなことがあったけど、結局彼の人生は、プラスマイナスゼロのいい人生だったのかもしれない。静かに寝息をたてている元こそどろ爺さんの顔は、皺がちょっと浅くなったようにみえた。
おしまい。(注:もちろん全くのフィクションです)
by mobiliantichi | 2009-11-21 12:17 | 国内旅行