内子座
内子座は大正5年に建てられた木造2階建ての劇場。老朽化で取り壊しになるところを、内子町の人々の熱意により復元され、今では再度劇場として活用されている。一時期は枡席も取り払われ、椅子式に改造されて、映画館のようになっていたこともあるという。
色々な舞台装置も見学することができる。
舞台に立って、暗い客席を見た時に浮かんだのは、、、。
小学校6年の学芸会で創作音楽劇をやった。生徒自らが作曲、作詞をして台本を書いた。小学校最後の舞台なので、全員に最低一言はセリフがあった。もちろん私の役は、「村の男 2」だか「3」だか「4」だかだった。まだビデオなどない時代、先生はカセットテープに本番の様子を録音して、全員に記念にくれた。家に帰って、カセットデッキに耳を近づけて何度も聞くのだが、私の声がない。そう、普段自分の聞いている自分の声と、他人が聞いている声が全然違う、という事実をその時私は始めて知った。「馬鹿なこというんじゃないよ」という鼻声のセリフが私だった。私の知っている私の声はもっと低くて、カッコいいものだったので、恥ずかしくて、ショックだった。その劇の衣装で、私は初めてズボンを穿いた。当時は女の子用のズボンは一般的ではなく、私は兄のズボンを借りて、舞台に立った。私はチャックを閉める事を知らなかった。これも恥ずかしくてショックだった。
それ以来、私は舞台に立つことを極力避けてきた。実は舞台を思わせるからという理由で、ボーリングも大嫌いである。
色々な舞台装置も見学することができる。
舞台に立って、暗い客席を見た時に浮かんだのは、、、。
小学校6年の学芸会で創作音楽劇をやった。生徒自らが作曲、作詞をして台本を書いた。小学校最後の舞台なので、全員に最低一言はセリフがあった。もちろん私の役は、「村の男 2」だか「3」だか「4」だかだった。まだビデオなどない時代、先生はカセットテープに本番の様子を録音して、全員に記念にくれた。家に帰って、カセットデッキに耳を近づけて何度も聞くのだが、私の声がない。そう、普段自分の聞いている自分の声と、他人が聞いている声が全然違う、という事実をその時私は始めて知った。「馬鹿なこというんじゃないよ」という鼻声のセリフが私だった。私の知っている私の声はもっと低くて、カッコいいものだったので、恥ずかしくて、ショックだった。その劇の衣装で、私は初めてズボンを穿いた。当時は女の子用のズボンは一般的ではなく、私は兄のズボンを借りて、舞台に立った。私はチャックを閉める事を知らなかった。これも恥ずかしくてショックだった。
それ以来、私は舞台に立つことを極力避けてきた。実は舞台を思わせるからという理由で、ボーリングも大嫌いである。
by mobiliantichi | 2009-10-12 23:11 | 国内旅行