熊野自慢 その27 「石垣記念館」

 和歌山県太地町にある石垣記念館。それはこの地の船大工の子として1893年に生まれた、石垣栄太郎の画業を後世に伝えるため、妻で評論家の石垣綾子が建設したもの。父は学生時代に、このご夫婦に大変お世話になったようで、この記念館の設立に関わった。
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 栄太郎は1909年に新宮中学を退学し、移民としてアメリカに渡った。1916年頃より絵画制作を始め、1951年に帰国するまで、アメリカ画壇で活躍した。黒人や労働者などの弱者を描いた作品は、ハーレムの裁判所の壁画の他、日本では和歌山県立近代美術館に数点、ロシアのエルミタージュ美術館にも所蔵されているという。
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 記念館には画家の書斎が再現されていた。行ったことがあるかも覚えていないのだが、なぜか懐かしい。
石垣夫妻の生活は、父にとって欧米の香りのする憧れの家庭だったのではないだろうか。子供の頃、我が家では、料理の献立はかなりきちんと決まっていた。ステーキにはバターと薄切りのレモンが乗って、付け合わせはフレンチフライ。サラダはレタスに細切りの人参、でパプリカでほんのり色を付けたフレンチドレッシング。そしてなんといってもクリスマスのローストチキンのスタッフィング。これらは石垣家のレシピだったのではないだろうか。田舎で祖母に育てられ、東京の女子大では同級生がプロセスチーズを食べているのを見て、石鹸を食べていると思ったという母が、洋食にそんなこだわりや造詣があったとは思えない。d0147727_21595852.jpgd0147727_2201824.jpg
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 1958年に亡くなった栄太郎には会ったことはないが、妻の石垣綾子のことは強烈に記憶に残っている。評論家としてテレビなどにも出演していた綾子は、高校の頃の私から見ると、「飛んでるおばあさん」だった。私が生まれて初めて行ったフランス料理のレストランは、彼女の行きつけの「ビストロサンノー」という赤坂の店だった。彼女が私達家族を招待してくれたのだ。歳をとったら明るい色の洋服が似合うようになる、ピンクなんて若い子が着ても不似合いなだけ、と言っていたことも忘れられない。 d0147727_2215449.jpg
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 戦争中には敵国人として、さらに戦後は赤狩りにあい、帰国することとなった栄太郎は、ラジオで大リーグの放送を聴くのが好きだったという。栄太郎の思い出を語る時、父はとても若く生き生きとするようだ。そして父は今でも、栄太郎から貰ったデッサンと時計を大切にしている。 
 
 だからこの記念館は熊野自慢というよりも、私達家族にとっての特別な場所なのかもしれない。

 森浦湾と那智連峰を眺めながら、この記念館の cafeで、いつかは父にゆっくり思い出話を聞いてみよう。

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by mobiliantichi | 2009-07-07 23:23 | 熊野自慢  

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