熊野自慢 その22 「佐藤春夫」
紀伊半島の先っぽにある2つの建物。
どちらも佐藤春夫が暮らした家。
申し訳ないのだが、私はほとんど小説は読まないので、佐藤春夫について何も知らない。
どうも1892年に新宮で生まれた詩人、小説家らしい。
新宮の観光案内には必ず名前が出ている。
この建物は下里にある生家「懸泉堂」。佐藤春夫の家は何代も続いた医家だったそうで、洋風の赤い建物が目をひく。母屋の庭は奥の山まで続く広大な物だったそうだが、今ではその庭は線路により分断されている。敷地内を線路が通っている、というのは我が家と同じなのだが、佐藤春夫は国鉄相手に裁判を起こしたらしい。
そして新宮の速玉大社の近くにあるこの建物は、佐藤春夫記念館。昭和2年に東京都文京区に佐藤春夫が建て、昭和39年に亡くなるまで暮らした家を平成元年に移築したもの。設計は西村伊作の弟西村七分だ。
どちらの建物が好きか?と聞かれたら、私はやはりあの真っ赤な洋館。
ぜひ中も見てみたい。そして雰囲気を壊さないように修復してほしい。
紀伊半島の先っぽに住んでいた人達の中には、その目が太平洋のかなたに向いていた人たちが多いという。そのためなのか、小さなちょっとした古い洋館が結構残っている。いわゆる伝統的な古い民家や和風建築を修復して、レストランや土産物屋にしている観光地は沢山ある。だからここでは、点在する洋風の民家を修復して、観光の目玉にしたら?
ぼろぼろの懸泉堂が崩れ落ちる前に、、、、。
どちらも佐藤春夫が暮らした家。
申し訳ないのだが、私はほとんど小説は読まないので、佐藤春夫について何も知らない。
どうも1892年に新宮で生まれた詩人、小説家らしい。
新宮の観光案内には必ず名前が出ている。
この建物は下里にある生家「懸泉堂」。佐藤春夫の家は何代も続いた医家だったそうで、洋風の赤い建物が目をひく。母屋の庭は奥の山まで続く広大な物だったそうだが、今ではその庭は線路により分断されている。敷地内を線路が通っている、というのは我が家と同じなのだが、佐藤春夫は国鉄相手に裁判を起こしたらしい。
そして新宮の速玉大社の近くにあるこの建物は、佐藤春夫記念館。昭和2年に東京都文京区に佐藤春夫が建て、昭和39年に亡くなるまで暮らした家を平成元年に移築したもの。設計は西村伊作の弟西村七分だ。
どちらの建物が好きか?と聞かれたら、私はやはりあの真っ赤な洋館。
ぜひ中も見てみたい。そして雰囲気を壊さないように修復してほしい。
紀伊半島の先っぽに住んでいた人達の中には、その目が太平洋のかなたに向いていた人たちが多いという。そのためなのか、小さなちょっとした古い洋館が結構残っている。いわゆる伝統的な古い民家や和風建築を修復して、レストランや土産物屋にしている観光地は沢山ある。だからここでは、点在する洋風の民家を修復して、観光の目玉にしたら?
ぼろぼろの懸泉堂が崩れ落ちる前に、、、、。
by mobiliantichi | 2009-05-31 11:31 | 熊野自慢