321レ先輩へ。

d0147727_19485941.jpg 321レ先輩、相変わらず「鉄」していますか?先日、北鎌倉で仕事を終えてから、今月で廃止される寝台車に「鉄」仲間と乗られて、熊本まで飲み続けたというお話、感服いたしました。でも4時間の熊本滞在ののち、飛行機で帰られたとか、さすがです。何しろあなたは熊野にも松坂から鈍行でいらした方。今まであの2両編成の単線のディーゼルのワンマンカーに、3時間以上も乗られて、熊野までいらした方を私は知りません。たしかあの時も帰りは特急のグリーンだったはず、さすがです。本日は耳寄りな情報をお知らせいたしたく、筆を取りました。
d0147727_19472961.jpg 今年は紀勢本線の全線開通50周年の記念の年だそうです。先日熊野市駅の待合で、このような情報が展示されていました。東の亀山から1891年(明治24年)8月21日に始まった鉄道工事は、2年後に多気まで完成しました。1923年(大正12年)に再開された工事は、三瀬谷1925年(大正14年)、紀伊長島1930年(昭和5年)、そして尾鷲まで開通したのは1934年(昭和9年)のことでした。一方、西の和歌山からの工事は1924年(大正13年)に始まり、紀伊田辺1932年(昭和7年)、新宮1938年(昭和13年)そして熊野市に到達したのは、1940年(昭和15年)のことでした。
 太平洋戦争と2度の津波による被害のすえ、最後に残された尾鷲、熊野市間の工事が終わり、前線開通となったのは、19年後の1959年(昭和34年)7月15日のことでした。
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 最後の区間が完成するまでの間、熊野市駅から尾鷲までは、この写真のようなバスが細い山道を往復していたようです。母はこのバスを懐かしく記憶しているようです。
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 駅舎は昭和34年当時とあまり変わらず、もちろんエレベーターもエスカレーターもありません。今後も取り付けの予定は全くないそうです。

 321レ先輩、この情報を得て、きっと先輩の「鉄」魂に火がついたと想像いたします。7月15日は水曜日ですが、ぜひ尾鷲ー熊野市を紀勢本線の旅でお楽しみください。この難所はほとんどの区間がトンネルですが、2933mの曽根トンネルを作った人達が、のちの青函トンネル工事に関わったそうです。
 先輩より「乗り鉄」の称号を与えていただいた私は、これからも地味に熊野市ー東京鉄道の旅を続けて行く所存です。
 この夏、先輩のまたのご来訪をお待ちしております。    かしこ。

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by mobiliantichi | 2009-03-11 21:00 | 熊野自慢  

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