思い出の甘味 その3: 柳屋の鯛焼
私、東京生まれの東京育ち、と言っても両親は紀伊半島出身だし、暮らしたのは大田区だったから、東京の下町に足を踏み入れるようになったのは仕事を始めてから。日比谷と渋谷が言分けられない、ちゃきちゃきの江戸っ子の上司などに囲まれた職場で鍛えられた。
鯛焼もたぶん初めて食べたのは大学生の時。柳屋の鯛焼だった。
大判焼きのような柔らかい生地に餡が包まれている、と思っていたので、初めて食べた時は硬くて味のしない生地の尻尾の先まで餡が入っていることにびっくりした。
その後、麻布十番や四谷の有名な鯛焼きをいただく機会もあったが、やはり柳屋が一番と思っている。
熊野の仕事仲間にお土産にしようと、開店の12時半と同時に並んだ。並びながら職人の仕事を観察。残念なことに、ここの職人も代替わりしていた。数年前にいたあの骨ばったあごで、ぎょろっとした目の職人は引退したらしい。
鯛焼職人にはリズムがある。腰でリズムを取りながら、順番に型を回して、油を塗って、生地を流し、餡を乗せて、生地をさらに上から掛ける。蓋をして火柱の中に戻して、また順繰りに同じ作業を繰り返す。型から取り出す時も、そして回りの焦げた部分を助手がちぎる時も、リズムがあった。
今回は、まだそのリズムが完成されていないようだった。あと5年したら、また行ってみよう。
冷めた鯛焼は、オーブントースターで暖めてから縦に半分に切って、熊野の皆さんに食べていただいた。最近の私は、熊野をブログで皆さんに紹介して、熊野の方には東京の伝統を紹介して、なんだか観光大使になったようである。
鯛焼もたぶん初めて食べたのは大学生の時。柳屋の鯛焼だった。
大判焼きのような柔らかい生地に餡が包まれている、と思っていたので、初めて食べた時は硬くて味のしない生地の尻尾の先まで餡が入っていることにびっくりした。
その後、麻布十番や四谷の有名な鯛焼きをいただく機会もあったが、やはり柳屋が一番と思っている。
鯛焼職人にはリズムがある。腰でリズムを取りながら、順番に型を回して、油を塗って、生地を流し、餡を乗せて、生地をさらに上から掛ける。蓋をして火柱の中に戻して、また順繰りに同じ作業を繰り返す。型から取り出す時も、そして回りの焦げた部分を助手がちぎる時も、リズムがあった。
今回は、まだそのリズムが完成されていないようだった。あと5年したら、また行ってみよう。
冷めた鯛焼は、オーブントースターで暖めてから縦に半分に切って、熊野の皆さんに食べていただいた。最近の私は、熊野をブログで皆さんに紹介して、熊野の方には東京の伝統を紹介して、なんだか観光大使になったようである。
by mobiliantichi | 2008-12-05 21:21 | 食べ物