修復の修了は

 「こんな田舎に当時モダンな洋館を単なる医者が建てることができたのは、だれか建築や洋館に詳しい人間の助言があったのでは?」 その疑問は最もだ。ここは紀伊半島の先っぽで、昭和30年代でも完全には電車は開通しておらず、今でも唯一の電車はディーゼルの単線だ。

 もし助言者がいるとしたら、西村伊作以外には考えられない。明治17年に生まれた伊作は幼少期を徳太郎と同じ下北山村で過ごし、25歳で4ヶ月間ヨーロッパからアメリカを旅行している。その後、民家や教会の設計を手がけたり、文化学院を設立した。
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 伊作と徳太郎は親戚で、この病院の開院祝いには、伊作から下北山の風景を描いた油絵が送られた。 その絵は長い間待合室正面に飾られていたが、廃院してからは母屋の蔵に仕舞われていた。そのためこの絵は新しく発見された伊作の作品として、数年前に鎌倉と和歌山で開かれた「西村伊作の世界」展に出品された。それ以来、和歌山県立近代美術館に預けてある絵。この絵を引き取り待合室の元の場所に戻すことができたときに、この家の修復は修了する。
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by mobiliantichi | 2008-01-17 21:23 | 古民家修復  

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