蕎麦の作法

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 大学を卒業して、最初に仕えたボスは大正生まれのおしゃれな人だった。結核で片肺をなくしていたボスはいつもちょっと斜めに傾いて、帽子とステッキが似合う人だった。若いころはサッカーやスキーを愛したスポーツマンだったそうだが、私が出会った頃のボスは、退職まじかの女嫌いのこだわりの多いうるさそうな老人だった。 
 あの頃、毎週土曜日になるとボスは皆を連れて近くの蕎麦屋に行った。仕事場の近くのその砂場のそばが、ボスは好きだった。「もりそばを食べる時は、箸はねかせちゃいかん、立てないと」とそばを食べる作法を教えてくれた。そしてそこで頼むつまみは、いたわさとやきのり。直前にあぶられた海苔は、立派な桐箱に入って出てきた。
 年に一度、お会いする機会があったのだが、いつ挨拶に行っても、同期の他の女性の名前で呼ばれた。最後にお会いしたのは3年くらい前。車椅子に乗ったかつてのボスに、残念ながら最後まで私は名前を覚えてもらえなかった。
 昨日、亡くなったとの知らせが入った。片肺のためかふっふっと息する音を立てながら私のことを「いよちゃん」と呼んでくれたボスはもういない。もちろん私は決して、いよちゃんではないのだけど。
 今度、平日に東京に行ったら、巴町砂場でそばを食べてみよう。私はあの店ではカシワ南蛮が一番美味しいと思っているのだが、ボスに敬意を表して、もりそばに焼のりを注文してみようと思っている。
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by mobiliantichi | 2010-02-18 21:29 | つぶやき  

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