古い記憶

 私は学校があまり好きではなかった。友人は少なく、休んでも誰も気がつかないような、おとなしくて目立たない生徒だった。小学校卒業の時、みんなでサイン帳の書きあいっこをした。私のサイン帳にクラスメートは「いじめてごめんね」と書いた。私は、自分がいじめられていることにも気がつかない、自分の世界に閉じこもった脳天気な生徒だった。
 小学校6年間のきらきら輝く記憶、それはほとんどここ、熊野でつくられた。それが私が今ここにいる本当の理由だと思う。私はこの熊野に恩返しをしなければいけない。もう少し早くその事に気がついていたら、祖母が生きている間に熊野に戻ってきたのだが。
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 1学期の終業式が終わると、とにかくすぐに熊野に行く。それは寝台車だったり、ひかり号だったり、時にはフェリーや自家用車だった。たいていは母と2人で、熊野市駅に降り立った。駅からハイヤー(祖母はタクシーの事をそう呼んだ)に乗り、「西村医院」と言うとここに着いた。車を降りると私は駆け出す。この階段を駆け上って、おじいちゃんのいる怖い病院の横をすり抜けて。
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 立派な玄関には用はない。石畳を滑らないように走り、勝手口に向かう。「おばーーちゃーーん!」土間にある台所では、祖母や大叔母がご馳走を作って、私が到着するのを待っていてくれた。土間から板の間に上がる階段は、子供の足では段差が高すぎて、興奮状態の私は、何回もつまずいておでこを強打した。私の石頭は、この時に作られたのかもしれない。
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 世界で1番、祖母が好きだった。母が東京に帰った後も、私は2学期の始業式の前日まで、熊野で過ごした。だから帰りはよく一人で列車を乗り継いで、東京に帰った。
 2学期が始まるとクラスメートは「○○ちゃんの軽井沢の別荘にお呼ばれして、サイクリングをして、▽▽ちゃんと会って」なんて言う話をするのだけれど、別にうらやましく思うこともなかった。私には別荘はなくても、田舎があったから。そしてそこには大好きな人がいたのだから。d0147727_19465366.jpg
 
 誰もいなくなった母屋。でも1つ、記憶と変わらないものがある。それは香り。どんなにオンボロになっても、母屋を残しておいてほしいのは、その古い記憶の香りを、いつまでも嗅いでいたいからかもしれない。

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by mobiliantichi | 2009-08-27 20:36 | 古民家修復  

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